水耕農園の話の続きを発見

ギーガーやMatrixの世界に似ていると気味悪がられたとしても,それが大事なの」というところに続きを発見。

程度の差こそあれ,社会というのは,構成員各自が自らを部品化をすることで成り立っていると言って良いはず

という話題に一段落割かれているのを見て、人間の社会もパッチモザイク構造なんだと改めて感じてしまいました。

そこが要点なのであれば、それは日本でも自然科学的管理がソフトウェア開発の現場に持ち込まれた時に到達していて、現在はコーディングをするプログラマーの多くを派遣社員で構成することにより、社内制度よりも強固な契約という形で実現していると思います。日本はその形がもたらす弊害がそろそろ許容限度を超えるので対策が打たれ始めているところです。「部品」というキーワードで労務管理を語り出すと「そこは○十年前に我々が通り過ぎた場所だ」と言いたくなる人がいそうな感じがします。現在の社会はその議論の後に存在していますし、そのキーワードだけで語りつくすのは難しいのではないでしょうか。

個人的には「起業できるぐらいの実力がある個人が生まれてほしい」という希望の話と集団に対する労務管理の話の関連性がすぐに思いつきません。

たぶん日本の大企業の人から見た未踏に選ばれた人は「(その導きが偶然か必然かどうかは置いておいて)世の中のニーズに応えるものを生み出す実力がある個人」という感じで、常日頃同じ課題を組織で解決している人たちからしたら興味深い人種だというぐらいではないでしょうか。今の段階では特にお互いとも相手に本気で期待しているものがないと思うのであまり気にしなくていいような。