「希望就職先:水耕菜園」を読んで
酔漢師匠の記事から「開発抽象化レイヤ - The Joel on Software Translation Project」をたどって読んでみて思ったことを書いてみます。
読んで思い浮かんだのは↓でした。
地上に天国を作ろうとする企ては不可避的に地獄を産み出す − カール・ポパー
酔漢師匠が連想したものが文字ではなくてイメージだったというのにはうらやましいと思いました。求む感受性。
上のフレーズが出てくる「開かれた社会とその敵」は未読なのですが、読んでみたいです。
原義とはちょっと違うかな?と最初思ったのですがちょっと考えたら似たような話のようでした。上のフレーズは「その企ては不寛容を導く。その企ては宗教戦争に至り、そして、魂の救済を異端審問を通じて行うに至る。」と続くらしく、ある価値観に基づく幸せというものを万人が共有できることはない、という話のようです。
酔漢師匠に同じくわたしも「開発抽象化レイヤ」は素晴らしいとは思えませんでした。何がおかしいのかを長々と書き出すとくどいと思うのでやめておきます。簡単に言うと目的を遂行するためにどうしたらいいのかという話といやな思いをしたことに対する反動が混ざってしまっていて、ごく限られた問題に対する解にしかなっていないと思います。酔漢師匠はその限られた狭い範囲の幸せについて書かれているのを機械的に感じたのですね。
プログラマ至上主義についても同じく感じたのですが、そこから連想した日本でも良く目にする光景は「○○は技術的に程度が低いからやりたいと思わない」という発言です。最近もふと目にして、流れを読んでいくとやはりその発言は技術的な難易度に対する認識に基づいてされたわけではなさそうでした。実際に作る物の規模や作り方はともかく、プログラミングのジャンルで勉強の必要がほとんどなかったり努力のしようがないような分野はないと言っていいと思います。ではどうしてそういうことを言っているのかと考えた結果行き着いた理由は「プログラマーである自分が誰の意向に従うこともなく主導権を握って物事を進めたい」というものでした。本当にそうならそういった方がいいと思うのですが・・・。
これも酔漢師匠が言っている、
海のこちらも向こうも世間からの引きこもり志向が強いんですかね
という話ですね〜。
思いついたことを書きたかっただけなのでこれでおしまいでいいのですが、元の話のGoogleに就職した人たちが起業を期待されているというそもそもの話が「開発抽象化レイヤ」をよく実践しているような企業からは起業する人は生まれにくいのであまりよくなかったと思います。